起業家教育やアントレプレナーシップ教育は近年ますます活性化し、学校や自治体でも多様な取り組みが広がっています。しかし、従来の教育とは異なる性質を持つ領域であるがゆえに、設計・運用・評価をどのように行うべきか、十分に整理された形で実践できているケースはまだ多くありません。
本記事では、起業家精神や起業家教育を専門とする柏野尊徳氏の知見を手がかりに、これからの起業家教育のあり方について考えていきます。

柏野 尊徳 氏
アイリーニ・マネジメント・スクール研究員
研究対象は起業家精神、起業家教育。2018年に研究教育組織アイリーニ・マネジメント・スクールを設立。ケンブリッジ大学でイノベーション・戦略・組織論(修士号)、シカゴ大学で公共政策・社会科学(修士号)を修める。2025年には、多様な利害関係者によりビジネス環境が悪化するメカニズムを、定量・定性データを用いて探索的に分析。構造を可視化した論文は査読付き国際学術誌に掲載され、NHKや日本経済新聞など主要メディアでも報道された。
「アントレプレナー」と「アントレプレナーシップ教育」の前提
今回のテーマを考えるにあたって、「アントレプレナーシップ」と「アントレプレナー」をどう定義するかが重要だと伺っていました。改めてこの意味について教えてください。
ここでは、「アントレプレナー」を起業家そのもの、「アントレプレナーシップ」を起業家的な発想・行動様式と定義します。それぞれに「教育」を組み合わせると、大きく二種類が区別できると考えています。
①アントレプレナーそのものを育てる教育
起業家を職業として育成するプロフェッショナル教育です。たとえば法科大学院は、弁護士や裁判官の養成を教育目的の中核に置いています。これと同じように、起業家を職業人として社会に輩出することを目指す教育です。
②起業家的な発想を身につけるための教育
起業すること自体は目的ではありません。キャリアを考える手がかりにしたり、課題を見つけて行動に移す力を養ったりすることが中心です。社会に出る前の中高生や大学生を対象としたり、リカレント教育の1つとなることが想定できます。
つまり「起業家教育」と一口にいっても、起業家という職業人を育てる教育と、起業家的な発想を育む教育の二種類がありうる、というのが議論の出発点です。
前者のように、アントレプレナーそのものを増やすためのトレーニングをしたいのか、それともそこから学ぶこと、つまりキャリアのヒントや汎用的なスキルを養う教育なのか。
ここが定まらないと、教育プログラムの設計や評価もぶれてしまいます。
例えば法曹教育では、司法試験という関門を経て、法曹に向いた人だけが職業として選抜されていきます。同じように考えると、アントレプレナーシップ教育を受けた人全員が起業する必要はありません。
よって「自分は起業には向いていない」と気づいて進路を変える人が出てくるのは、むしろ教育システムが機能している証拠と捉えられます。教育を通じて、自分と起業との適合性を検証できているからです。
たとえば50人中4〜5人、約1割が起業して成功したとします。これは数字としては小さく見えるかもしれません。しかし、もしここで「何人が起業したか」を主要な評価指標(KPI)に置いてしまうと、運営側に「起業数を増やさなければ」という圧力がかかります。すると、本来は起業に向いていない人にまで起業を勧めてしまう。これは教育として逆効果です。
例えば汎用スキルの獲得を目指すアントレプレナーシップ教育であれば、「自分は起業に向いていないと気づいた」という結論に至った参加者も、教育の成果としてカウントできます。目的が違えば、成功の定義も変わるのです。
教育として重要なのは、目的に応じて評価設計を変えることです。「なるべく多くの人に起業してもらう」ことが、どんな場面でも正解になるわけではありません。だからこそ、「何のためにこの取り組みを行うのか」を明確にし、その目的に対応した評価設計を用意しておくことが重要だと考えています。
誰のための起業家教育か -対象と教育設計-
起業家教育は、事業の成長なのか、個人の成長なのか、それともキャリア機会の提供なのか。ここはどのように設計するのが適切なのでしょうか?
日本のアクセラレーターを研究した際、現場レベルでの支援体制であるメンタリング設計を見ると、大きく三つの方向性があることが分かりました。これらは排他的なものではなく、実際には混ざり合っていることが多いものです。
① 高成長を実現する起業家を育てる観点
高い事業成長を前提とした助言や指導が行われます。市場性が見込みにくいアイデアに対しては事業転換(ピボット)を促すなど、経済的成果の最大化を重視するメンタリングです。
② 社会で活躍するために必要な知識やスキルを育む観点
仮にアイデアの市場性が低くても、プロトタイプを作って顧客と対話する経験を積んでもらい、学習のプロセスそのものを支援します。結論を先回りして示すのではなく、本人の試行錯誤に伴走する関わり方が中心です。
③起業に関わる機会を広げる観点
起業に必要な多様な知識やノウハウに、参加者が幅広く触れられることを目的とします。さまざまな分野の専門家がメンターとして関わり、接点の多様性そのものが価値となるプログラム設計です。
教育現場では、この3つの目的が複合的に組み込まれているケースが多く見られます。「起業家として成功できる可能性を見極める」「キャリア形成に役立つ成長を促す」「より多くの人に多様な機会を提供する」といった意図が、ひとつのプログラムの中で同時に追求されているのです。
ここで課題になるのは、目的が違えば適切な支援の方法も変わるという点です。同じメンタリングであっても、何を目指すかによって適切さの基準が変わってしまう。どのアプローチも単独で間違っているわけではありません。ある文脈では適切だったアドバイスが、別の文脈では効果を持たない、場合によっては有害かもしれない—そういう構造的な問題があると考えています。
起業家や人の成長にはフェーズがあると思いますが、年齢ごとに支援を考えるべきなのか、それとも別の基準で設計すべきなのか、このあたりについて柏野さんの見解を教えてください。
一概には言えない部分もありますが、ここでも「誰に向けた教育なのか?」の定義が重要です。
本気で、起業して組織をつくり、事業を展開して利益を生み出し、納税や社会的インパクトの創出にまで至る人材を育てたいのであれば、そのために必要なカリキュラムと考え方を段階的に設計する必要があります。
ただ、多くの学生は学んでいる内容のプロになるわけではない。歴史や数学を学ぶからといって、全員がその道の専門家になるわけではないのと同じです。
だから「これをやらないとプロになれません」という前提だけで授業を設計すると、「なんでこの授業受けるんだっけ?」という状態になる。
たとえば、厳しい選抜を経て大谷翔平選手のようなトッププロを育てるプログラムと、野球を通じてチームワークの大切さを学ぶプログラムとでは、設計はまったく異なります。現状の中学・高校のアントレプレナー教育は、前者のようなプロ育成型ではなく、後者の性質を持つものが多数を占めているのではないかと考えています。
こうしたプログラム設計においては、「誰を受け入れて、誰は受け入れないのか」が、明示的な選抜以前に半ば自動的に決まってしまう側面があります。私自身の関連研究でも、本人は起業に興味を持っていても、周囲の人々が起業をどう捉えているか、どのような文化がその環境で支配的かによって、教育プログラムへの参加をためらう人が一定数いることが分かっています。
「やりたいと思っていても、それを口に出すのが恥ずかしい」と感じてしまう場合もある。結果として、設計者が意図していなくても、特定の層しか参加しないプログラムになり、実質的な排除が起きてしまうのです。
「理想像」と現場のズレ -設計・運用・評価の不整合-
ここまでの議論を踏まえると、教育現場では「設計上の目的」と「実際に起きていること」のあいだにズレが生じやすそうですね。
そうですね。構造としては新しいビジネスの創出を目指すアントレプレナー教育(①)でありながら、実際の運用上の目的はアントレプレナーシップ教育(②)寄りになっているケースも、しばしば見聞きします。
こうなると、本気で起業を目指す参加者にとっては物足りないプログラムになりますし、メンターの関わり方の面でも齟齬が生じます。たとえば事業として成果を出すには別のアイデアのほうが有望だ、という状況を考えてみましょう。この場合、メンターからのフィードバックとしては「今のアイデアでは事業価値を見いだしにくい」「別の事業案を検討すべきだ」という指摘が妥当なものになります。
しかし、教育の文脈をアントレプレナーシップ教育(②)寄りに期待している関係者からすると、こうした事業育成上は真っ当なアドバイスが「学生に対して攻撃的ではないか」と受け止められてしまうリスクもあるのです。
つまり、教育の文脈がキャリア教育寄りである場合には、起業家育成として本来適切なはずの支援が、かえって逆効果になってしまう可能性があるということです。
だからこそ、最低でも次の3つの大枠が整合している必要があります。
・運営側はどのような目的でプログラムを提供しているのか
・支援側のメンターには何が期待されているのか
・参加する学生は何を求めて参加しているのか
ここが揃っていないと、「真っ当なことをしているのに評価されない」という事態が起きてしまう。設計・運用・評価が一貫しない状態に陥るのです。
教育の循環を持続させる -何を測り、何を捨てるか-
確かに、期待値のズレによるミスマッチは現場でもよく起きている感覚があります。そうならないために適切な目標設定や効果測定、モチベーションの維持、それらを循環させる仕組みをどのように構築していけば良いでしょうか?
特別な方法があるわけではなく、基本的には事業運営と同じ枠組みで考えてよいと思います。目標を設定し、実行し、効果を測定し、改善する。このサイクル自体は事業も教育も変わりません。
例えば、本気で起業家を育てるプログラムであれば、参加者のうち1割が本当に起業して経済的成果を出すなら大成功という考え方もあります。
短期的には、顧客にどれだけ話を聞いたか、プロトタイプを何個作って何回改善したかといった形でマイルストーンを設定することもできます。
一方で、一般的な教育場面で重視されがちな「個人のモチベーション」については、それだけを評価指標の中心に据えないほうがよい可能性があります。というのも、起業家育成を主眼とする場合には、実際の起業の現場で問われるのは、起業家の動機の高さそれ自体だけではなく、「事業が前に進んだか」「成果が出たか」といった行動や結果だからです。
これはスポーツの世界にも通じるところがあると思います。プロアスリートのインタビューなどで語られるように、「楽しいからやる」というだけでは職業として成立しません。好きであることは前提として大切ですが、「やるべきことを淡々とやる」というプロフェッショナルとしての側面もあります。
起業家育成型の視点もこれに近いと思います。モチベーションも要因のひとつとして無視はできませんが、それに加えて、実際に起業家的な行動をどれだけ取ったか、その行動からどのような成果が生まれたか、という点も見たほうが評価としては妥当でしょう。
ここで重要になるのは、「測ることは、同時に何かを捨てることだ」という視点です。全員を満足させることはできない以上、「どのような学生が、どう変化したら成功と見なすのか」を、プログラム開始の段階で決めておく必要があります。
たとえば、市場に対して厳しい洞察を持つメンターがいれば、事業としての成果は出やすくなるでしょう。一方で、その厳しさについていけず離脱する学生が出るかもしれません。このとき発生するコスト—離脱者のケア、運営側の説明責任、メンターへの批判—を参加者・運営側・メンターの誰が引き受けるのかまで決めておかないと、問題が起きた際にプログラム自体の価値や評価が揺らぎます。
教育とは、人の可能性に投資することだと私は捉えています。投資である以上、リスクを引き受けることが伴う。だからこそ「教育」と名づけて取り組みを行うのであれば、「どのような人を、どう変えたいのか」を明確にし、その目的のためにどこまでコストを引き受けるのかを運営側自身が決めること、この二点に尽きるのではないかと思います。教育者側のコミットメントが設計と運用に適切に反映されることで、起業家教育は教育として機能するのです。

