「共創」を軸に、教育を中心とした社会課題解決で社会的なインパクトを生み続ける一般社団法人Arc & Beyond、代表理事の石川洋人さん。 環境に恵まれない子供の未来を、教育事業を通して明るいものにしていこうとする社会起業家石川さんの活動の背景には、確固たる信念と想いがありました。今回は、自らのアントレプレナーシップを軸に生きる社会起業家のリアルなストーリーを追体験しながら、「仕事の意味」「生きる意味」について考えていきます。

ー石川洋人氏プロフィールー
大学卒業後、米JPモルガンに入社し、投資銀行業務に従事。その後、当時ソニー㈱に入社し、海外事業を担当。2009年にミシガン大学でMBA取得後、トップマネジメントのスタッフとしてソニーの構造改革に携わる。2015年にTakeoff Pointを米国で設立。日米のスタートアップや企業の新規事業に対するビジネス支援サービスを提供しながら、自社でも複数の社会課題解決事業を創業。2024年に一般社団法人Arc & Beyondを設立。経済合理性の壁を越え、社会課題を事業として解決することに力を注いでいる。その他、複数の大学の非常勤講師、アクセラレータープログラムのアドバイザーとして、起業家教育・起業家支援にも取り組んでいる。
金融の世界から国際ビジネスの最前線、そして起業家へ
石川さんは大学卒業後に米国の金融機関でのファーストキャリアから、ソニー、MBAを経てシリコンバレーでTakeoff Point社を設立、社会起業家となり、現在はArc & Beyondで教育、共創活動に従事しておられます。改めて、これまでの石川さんのキャリアについて教えてください。
私は父親の仕事の関係で幼少時代から日本とアメリカを行ったり来たりする生活をしていました。生まれは東京で、幼少時代を最初ニューヨークで過ごして、小学校は日本、中高はアメリカ、大学は日本、そして就職後にアメリカに行き、日本、オーストラリア、韓国、中国、台湾で仕事をして、アメリカに留学してまた日本に戻り、アメリカで会社を立ち上げ、そして日本にまた戻り、日本とアメリカの間を12回引っ越ししました。
大学生の頃は発展途上国に興味があり、バックパッカーをしていました。そこで先進国と発展途上国の違い、その中で子供の教育環境の問題を目の当たりにし、ショックを受けました。学校に通えない子供たち、低い識字率、内戦の中での物資の運搬員として子供が労働させられている風景など。中でも特にショックだったのが、小学生か中学生くらいの自分の娘を親が売春に斡旋する村があったことでした。
―世の中ってなんてアンフェアなのだろうー
その後大学の開発経済学のゼミに入り、発展途上国の課題に関する研究をしながら、海外での教育のボランティア活動もしました。青年海外協力隊や、発展途上国の支援を行うNPO/NGOの就職を視野に入れていたのですが、私の家系は父も祖父も叔父も銀行員という銀行員一家、親の反対もあり、アメリカの金融機関JPモルガンに就職、そこでは企業のM&Aを中心にずっと仕事をしていました。
JPモルガンのクライアントだったソニーを担当していた際、2003年にソニーが業績を下方修正し、2日間にわたってソニー株がストップ安になるという”ソニーショック”に立ち会い、今後ソニーが大きく変わるのではないか?というところに興味を持ち、ソニーに転職しました。

ソニーでは海外事業を担当、海外事業の不採算事業の立て直しを主に担当しました。最初に担当したのは韓国・中国・台湾のパソコン事業、その後オーストラリアに赴任し、その後も事業再構築、いわゆるネガティブをゼロに戻す仕事をずっとやりました。その後アメリカのビジネススクールでMBAを取得した後、ソニー本社のトップマネジメントのスタッフとして、ソニーの構造改革に携わりました。長く、事業の立て直し/構造改革をメインで担当していましたが、2014年頃からソニーの中で新規事業開発のムーブメントが出てきた中で、ソニーの製品のアメリカでの展開を担う販売会社の社長として立ち上げをやらないか?という人事からの異動の打診があり、シリコンバレーでTakeoff Pointを設立しました。
当時は、強い起業家マインドがあったわけではなく、完全に会社人/組織人だったと思います。ただ、前述のようにマイナスをゼロに戻す仕事ばかりやってきたので、ゼロからプラスの価値を生み出すことをやってみたいという気持ちで、チャレンジすることに決めました。
そこから、シリコンバレーでの新規事業へのチャレンジが始まったんですね。起業家/イントレプレナーとしてゼロからスタートする新規事業でご苦労されたと伺いました。
Takeoff Pointはソニーの新規事業創出プログラムからでてきた商品をアメリカで展開する目的で設立しました。最初に任されたミッションはソニーが開発したプログラミング教材「MESH」の米国展開でした。

MESH以外にもいくつか商品があったのですが、結論から言うと販売会社として全くうまくいかなかったんです。
Takeoff Pointを設立して1年半くらい経った頃には、会社をたたむという判断がソニーから下されました。
その時に、トップマネジメントの担当役員から「何もないけど、せっかく会社を作ったんだから、自分で事業作ってみては?」とチャンスをもらい、スタートアップへのコンサルティングをしながら、ソニーの商品の販売を継続しながら機会を探していました。
プログラミング教材の競合が多くある中で、MESH自体の営業は苦戦していましたが、営業で学校を訪問する際に、学校に子供がいないということを不思議に思い、そこからDisconnected Youthという根深い社会問題に対峙することになりました。Disconnected Youthとは、16歳から24歳の、何らかの原因で学校にも通えず、仕事にも就けず、社会とのつながりが分断されて孤立してしまう若者のことを言い、アメリカではこれが大きな社会問題になっていました。そこで、MESHを活用してDisconnected Youthに希望を持たせることができないか、これが社会課題解決につながるのではないかと考え、MESHを売るのではなく、MESHを使った教育プログラムを作ろうと考えました。
そこからは、自分たちでカリキュラムを考案し、Disconnected Youthの子供たちが集まり、時間を過ごしていた市民センターや児童館のようなところで、ボランティアで教室を開きました。その評判が良く、「うちでもやってほしい」という声が増えてきたんです。人材が足りなくなったので、Disconnected Youthという社会課題の解決に共感してくれるボランティアスタッフを募集し、シニアの人たちや、夏休み中の学校の先生、仕事をしていない主婦の方などに講師ができるようになるためのトレーニングを行いました。また、現地の教育局と連携して学校の先生にTakeoff Pointでインターンとして働いてもらい、教材を一緒に作る機会をつくり、カリキュラムを通して先生たち、大人たち、子供たちを巻き込んだコミュニティにしていきました。
すると、子どもと大人に新たな就業機会を提供しながら、社会課題解決を目指していることが、現地の国会議員から注目され、議員表彰を受け、それがニュースになったことをきっかけに、無料でダウンロードできるようにしていたTakeoff Pointの教材がボランティアスタッフによって様々なところで展開されるように広がり、結果的にMESHが付随して売れるようになっていきました。
これをきっかけに、企業の技術を応用することで社会課題解決ができると考え、ソニーの技術や知財を使ってDisconnected Youthの為の事業を複数立ち上げてきました。そこから、社会課題解決ビジネスに取り組んでいます。

2024年に一般社団法人Arc & Beyondを立ち上げられました。Takeoff PointからArc & Beyondの発足の経緯や繋がりについてお伺いしたいです。
Takeoff Pointでは前述の通りDisconnected Youthの課題解決のための事業をいくつか立ち上げましたが、赤字事業の採算を取るところで苦労しました。NPOに事業を売却したものもありましたが、全ての事業を黒字化させることは容易ではありませんでした。
ソニーのブロックチェーン技術を使って、Disconnected Youthが就業支援、食糧の支援、住まいの支援など、行政の支援を受けやすくなるサービスも展開しましたが、親会社であるソニーとしては、利益を生めなければ事業撤退という結論を出さざるを得ません。しかし、企業の事情で、すでにサービスの恩恵を受けていた子供たちを路頭に迷わせることになる、利益のために社会的責任を放棄するようなことがあっていいのか?経済的価値を出すために社会的価値を放棄して良いのか?社会的責任を果たすために、CSRの活動に年間数十億円の資金を費やしているのに、社会的価値のある事業でも赤字が許されないという矛盾。このジレンマに苦しみました。ただ、企業の中で限界があることも事実です。
そこから、いろんな企業がパートナーとして参画できる「出島組織」を作る必要性を感じ、一般社団法人Arc & Beyondの立ち上げに至りました。大企業の本体から独立し、離れた「出島」形式のリーンで特異な組織をつくることで、様々なパートナーが集まり、自由にイノベーションを起こしやすくしたいと考えました。ソニーから独立させる形になりましたが、トップマネジメントからは「石川がやっている事業は儲からないけど、誰かがやらなければいけないこと。誰かがやらなければいけない事業をやることに意義がある。」という後押しをもらいました。
ここまでお話を伺ってきて。石川さんは教育を取り巻く社会課題に強いWillをお持ちなのだなと感じます。これはやはり若い頃の原体験から形成された価値観が強く作用しているのでしょうか?
Takeoff Pointを始めてうまくいかず、シリコンバレーの経営者の先輩たちに相談していた時に、必ずといっていいほど言われたのが、「なぜ君はそれをやるのか?」「ミッションは何か?」ということでした。正直、当時の私には人事異動で会社から与えられたミッションであるという以上の理由はなかったんです。俗にいう「やらされ起業家」。さらに同じ時期に、就職活動中、OB訪問で来てくれた大学生に自己分析や働く目的の言語化を偉そうにアドバイスをしながら、自分自身が働く目的を見失い完全に会社人/組織人になってしまっているということに気づきました。
そしてふと学生時代のことを思い出し、日本にいる母に、学生時代の自己分析ノートの写真を撮って送ってもらったんです。そこには、発展途上国の子供の教育問題に強い関心を持っていること、その課題を解決する仕事をしたいと記してありました。そこで目が覚め、学生時代の自分の気持ち、自分の生きる目的に立ち戻ることにしました。学生時代の動機は発展途上国の課題でしたが、教育格差や教育を取り巻くさまざまな社会課題は日本であってもアメリカであっても存在する中で、目の前にある社会課題を解決したいと強く思うようになりました。そこから、Disconnected Youthの課題解決に取り組む強いモチベーションを持ち続けています。
Arc & Beyondは設立1年半で、教育を取り巻くさまざまな社会課題解決の活動を積極的にされていますね。改めて、現在どのような活動に力を入れていますか?
Arc & Beyondの事業領域は大きく4つあります。ひとつは教育、2つ目は福祉、3つ目はスポーツ、そして4つ目がエンターテインメントです。もちろん、これらがオーバーラップするところもあります。
Takeoff Pointでの活動同様、MESHを使った教育プログラムの展開を日本の少年院向けに提供しています。少年院で最初から簡単に受け入れてもらえるわけではなかったのですが、少年院の先生方や在院者たちのフィードバックも集めながら、効果測定を行い、2025年度からは全国の少年院で正式に展開していただけることになりました。法務省から教材開発とカリキュラム開発の業務委託を受ける形で事業展開が始まり、経済産業省の「未来の教室」での実証事業では、宮城県気仙沼や秋田県の教育プログラムとして採用していただいています。
これら教育・福祉の分野の他、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)と連携した、子供のスポーツ用義足の普及の課題解決に取り組むプロジェクト、障がい者と健常者が共に楽しめるスポーツのプロジェクトにも取り組んでいます。 エンターテイメントに関しては、現在アフリカでアニメ産業を作るプロジェクトに取り組んでおり、日本とアフリカのアニメの架け橋を創り、アフリカに新たな産業と就業機会を創造しようという取り組みを行っています。

新しいお取り組みの中で、アメリカでのご経験が大きく生かされているのだとお話を伺いながら感じました。そのうえで、手応えや課題などをどのように捉えていますか?
アメリカでやってきたことを少し形や相手、場所を変えて展開しているというところで、コアとなる部分はあまり変わっていないかもしれません。アメリカでの経験はすごく生きていて、例えば少年院むけの仕事を始めたときもやはりアメリカで実績があったというのはすごく大きく影響していると思います。スポーツやエンターテイメントのところは新しい挑戦です。新規事業の立ち上げノウハウやスキル、経験は大きく活かせていて、自分で複数事業を立ち上げてきた中で、バッターボックスに多く立ってきたことが良かったと思っています。
一方で、社会課題をビジネスで解決するというところには、まだまだ課題があります。例えば、様々なパートナーに参画いただいていますが、当然営利を目的とした企業の経済的メリットを重視される中でのジレンマはあります。ただ、これは将来的にどこかで変わる時が絶対に来ると信じています。それを言い続けていきたいと思っています。
石川さんの大きな課題への挑戦に私たちもワクワクします!お話を伺ってきて、石川さんの強いアントレプレナーマインドを感じます。ご自身で人生を振り返ってみて、現在の考え方や行動につながった背景にはどのようなものがあると考えられますか?
振り返ってみると、就職活動というのがやはり良い経験だった思っています。就活の機会に自己分析をして、自分は何をやりたいのか?自分はどのような人間なのか?どのように社会と関わっていきたいのか?を考えることはとても大切だと思います。私の場合はそれにマッチしない仕事を長くやっていたわけですが、もちろん全く無駄であったとは思っていません。
10年前にTakeoff Pointの立ち上げが自分の生きる意味・働く意味を改めて考えるきっかけとなったのですが、JPモルガンやソニーで会社人として働いてきた経験も含めて、全部が今に繋がっているのだと思っています。Takeoff Pointでの最初の失敗経験も、自分にとってはすごく良い経験で、もしあの失敗経験がなければそのまま定年まで組織人として働いていたかもしれません。Takeoff Pointでの失敗経験を通して初めて、会社の中で求められる「会社人」としてだけではなく、社会の中で求められる、社会の中で生きる「社会人」になれたと思いました。Arc & Beyondのメンバーにも、自分たちが社会に何を求められているかを意識して仕事をする大切さを伝えるようにしています。
石川さんの社会課題への挑戦、社会起業家としての起業家精神の背景にある、「負の連鎖を止めたい」という強い想い、石川さんのモチベーションの根源について教えてください。
私は、2001年の米国同時多発テロで自分の父親を亡くしました。そのときに、もちろん父が亡くなったことが苦しかったですが、それ以上にその後の世の中の動き方に大きくショックを受けました。
米国同時多発テロが起こってから、アメリカの愛国心がイスラムに対するヘイトに繋がっていきました。アメリカはアフガニスタンに報復攻撃を開始し、その中で私の父と同じように、テロや政治に全く関係がない多くの人が犠牲になり、家族を亡くした犠牲者家族のアメリカに対するヘイトが膨みさらなる報復を生んでいきました。
9.11以降、この負の連鎖が20年続いていくわけです。
世界貿易センターでの犠牲者は2753人でしたが、その後のアフガニスタン戦争では民間人も合わせて17万人以上の人が亡くなっています。
このような悲しい負の連鎖が膨らんでいくことに対し、なんとかしなければいけないという使命感が自分の中にあります。もちろん、私ひとりで戦争やテロを止めることはできないですが、この負の連鎖というのは教育や子育ての中でも起きています。貧困も連鎖します。 この負の連鎖を止めることを誰かがやらなければいけない。私はテロで父を失いましたが、テロの首謀者を恨むのではなく、どうすれば負の連鎖を止めることができるのか?を考え続け、自分にできることって何だろう?と考え続けた結果、現在の活動に誰よりも熱量と覚悟を強く持って活動しています。
改めて、石川さんは想いを起点としたアントレプレナーの強さを体現されていると感じました。最後に、石川さんの今後の展望、そして若者たちへのメッセージをお願いします。
自分のライフワークとして、Disconnected Youthの課題解決に挑み続けていきます。Disconnected Youthの問題は、少年院の子供だけではなく、児童養護施設の子供、特別支援学級の子供、外国籍のルーツを持つ子供、不登校の子供など、多くの子供達が苦しんでおり、今なお解決されていません。社会から孤立してしまっている子供達に自分ができることは何か?を問い続け、1人でも多くの子供が希望を持って生きられる社会を目指して活動していきます。
そして、どのようにすれば大企業が社会課題解決に本当の意味で参画できるようになるか?についても問い続け、旧来の資本主義のあり方を変えていきたい。壮大なる社会実験だと思いますが、これが、自分が人生を通して取り組んでいきたい課題です。
若い人たちに伝えたいのは、企業で働くことが良いか、起業家が良いか、そういうことではなく、誰かに勝つとか、他人に評価されるとか、他人軸ではなく、「自分は何をやりたいのか?」「自分に何ができるのか?」を考え続けて人生を歩んでほしいと思っています。すぐに答えが出るものではないですが、考え続けることが重要だと思っています。
―おわりに―
石川さんのキャリアの広がりと、その根底に流れる揺るぎない使命感。金融、グローバル企業、シリコンバレーでの挑戦、そして社会起業家としての現在の活動は決して平坦な道のりではありませんが、数々のチャレンジの軌跡が、「教育によって負の連鎖を断ち切りたい」という石川さんの強い情熱をさらに強いものにし、また次の活動に繋がっていくのだと感じます。
私たちは日々の忙しさの中で、「何をやりたいのか?」という問いに対峙する機会が少なくなっています。社会課題と対峙し、考え続け、行動し続けることに、人生や仕事の大きな意義があるということを深く考えさせられるお話でした。石川さんの今後ますますのご活躍を心よりお祈りします。

